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テンプル騎士団と重火器らぶずっきゅん

キリスト教と魔女の存在

キリスト教における魔女の歴史について。
かなり大雑把に書いたのであくまでも表面的なものとして捉えてください。


※当初は他のブログに載せようと思っていたので文体がやたら固いです。読みづらかったらすみません。
※特定の宗教や個人・団体などを貶める意図はありません。

 

<前置き>

今回読んだ本ではサタンデーモン悪魔の定義は以下のような意味で区別されていた。

  • サタン…悪の具現。旧約聖書においてヤハウェと現世の間に存在する神の役人。新約聖書では堕天使として扱われ、デーモンの君主に降臨。

  • デーモン…正常な秩序の内と外を行き来できる存在。元来「悪」という意味はなかったが、キリスト教の布教に伴い悪魔とみなされた。

  • トイフェル…悪をもたらす者の総称?

  • 悪魔…サタンやトイフェルなどの総称。

 

<魔女いろいろ>

起源

ドイツ語で魔女を意味する"hagazussa"の語源をさかのぼると「垣根の上に座った女」という意味が見受けられるという。
この垣根とは人間のコミュニティと野生の境界線を表すもので、人と野生の両方に属するものと捉えることができる。

魔女の起源の一つにストリガという存在がある。
ストリガとは夜に徘徊する女の亡霊で、フクロウのような見た目の吸血鳥に変身することができ、赤子に毒入りミルクを飲ませたり、誘拐した赤子から血を吸ったりする。
中世(?)の民間伝承においては人喰い魔女についての記述があり、キリスト教はこれを取り入れて魔女を排斥しようと試みた。


魔女の種類

一口に魔女と言ってもその分類は様々である。

最もイメージしやすいのは杖やほうきにまたがって空を飛ぶ姿だろうか。これはゲルマン由来のものらしい。
童話『ヘンゼルとグレーテル』に出てくる魔女なんかはわし鼻の老婆というイメージが強く、子どもを騙して食い殺そうとするなど魔女そのものが悪役として描かれている(「悪魔」は登場しない)。

一方で説話や伝説に登場するものは天候などの自然を司る存在など、様々な姿で登場している。
説話などに登場する魔女たちは悪魔と無関係で、彼らが悪事を働く動機は金欲復讐不満などといった人間味のあるものだった。加えて自身が魔女であることを周囲に悟られないために教会を訪れることさえした。

異端尋問や魔女裁判における魔女といえば反社会的思想を抱く者というレッテルを貼られた場合が多い。

とにかくこれだけ幅が広いので、中世の神学者たちにより「危険な魔女」の定義がなされた。
これは14世紀以降"hexen"の名前で人々に認知されるようになる。


<宗教と魔女>

形のない神を畏れ崇拝するものが宗教の始まり?
次第に神々は擬人化され、今日も偶像としてその姿を見ることができる。


母性信仰の誕生

豊饒神などの女神を崇拝する動きはキリスト教が誕生する以前(少なくとも紀元前2000年)から世界の各地で見られていた。
母性信仰と呼ばれ、信仰の対象には太母神(マグナ・マーター)や地母神(テラ・マーター)も含まれる。
時代を重ねるにつれ、それらの母性信仰は父性信仰であるユダヤ教キリスト教によって排除が試みられた。

初期のキリスト教では異教を信仰する人々の心を捉えるべくある程度の妥協、つまり異教との混合を検討する必要があった。
そのような理由から、異教の聖地に教会を建てたり、異教の寺院を教会として運営することも珍しくなかった。


宣教師ヨハネの存在

キリスト教の布教に努めた宣教師のうちヨハネについて述べておく。
彼は母性信仰に対して寛大であった。
太母神を崇拝する土地でキリスト教の布教を行う際も、彼らの信仰を拒否することなく(全てではないだろうが)受け入れたとされている。

エスに加えてマリアが信仰の対象となったのもおそらくヨハネの存在によるものが大きいだろう。
一部ではマリアの母であるアンナに対して崇拝することさえあった。
しかしこれにより、表面上はキリスト教徒を装うものの実際はマリア像を通じて太母神を信仰する輩が多数現れたという。


マリアとイヴに対する扱い

マリア信仰以降の女性への扱いは『創世記』のイヴに対する軽蔑から読み取ることができる。
イヴを貶めることで相対的にマリアを神聖な存在として崇めることができた。同様に修道女たちの純潔を保護した。


ヴィクトリア論争

古代ローマ帝国においては392年にキリスト教国教化がなされるまでキリスト教とローマ人の民族宗教間での対立が顕著だった。

両者の争いに終止符を打つ決定的な一打となったのがヴィクトリア論争
異教を弾圧するためにローマ帝国のシンボルともいえるヴィクトリア女神の祭壇を撤去したグラティアヌス帝側と、祭壇を再建しようと立ち上がった元老院議員のシンマックス側の二つの派閥による対立である。
最終的にグラティアヌス帝の派閥が勝利し、それ以降はキリスト教が台頭するようになった。
ローマ全体にキリスト教が広まったことでローマ以外の地域にも布教しやすい環境が構築された


戦争と宗教

宗教における「悪」という概念の形成には人間同士の戦争も深く関わっているようだ。
戦争に勝った民族が負けた民族側の信仰を悪とみなし、自分たちの信仰を無理矢理上書きする形で広めていったという。
有名なものでは十字軍による征服戦争がある。


雄ヤギと黒猫のイメージ

キリスト教における悪のキャラクターといえば雄ヤギ黒猫のイメージが強い。
これらはもともとゲルマンの神々である雷神トールと女神フレイヤに仕える動物たちであり、キリスト教の信仰に伴って悪の象徴とみなされるようになった。


教会の腐敗と異端の出現

時代が進むとキリスト教内部で大きな分裂が見られるようになる。
ここで簡単にいくつかの派閥についてまとめることにする(実際にはこれ以外にも多数の派閥が存在する)。

  • カトリック教会…マリアを信仰し、男性を優位に扱う。
    女性は処女と魔女の二極化。
    魔女の呪術に対しては「儀式を用いて無力化する」ことで対抗する。
    免罪符の発行や教会税によって潤沢な資金を得ることに成功、一方で教会内部の腐敗を招いた。

  • プロテスタントカトリックの腐敗に対して原点回帰を目指した。
    旧約聖書を教義とする(マリア信仰に否定的)。
    彼らがしばしば口にした「旧約聖書に還れ」という言葉はマリア崇拝のカトリックに対するもので、プロテスタント側が父性信仰を掲げることに由来する。
    魔女への対処は神にひたすら祈りを捧げるものであった。

    • ヴァルド派(ワルド派とも)…マリアを信仰の対象としない。ただし男女平等を謳い、説教師の中には女性もいた。カタリ派を非難。

  • カタリ派カトリック教会および旧約聖書を敵視。
    マリアを信仰しない一方で男女平等主義であった。

  • ボゴミール派カタリ派と同様。女性の説教師も見受けられた。

  • グノーシス…マリア崇拝を否定。カタリ派に影響を与える。

 

加えて以下の語句についても説明しておこうと思う。

  • 異端審問古代ローマ帝国に端を発する。
    容疑者を告発し、尋問や拷問を用いて対象に自白を求めるもの。
    通常は世俗権力によって任命された異端審問官ドミニコ会修道士もしくはフランチェスコ会修道士)によって行われる。

  • 魔女裁判…異端審問の対象を魔女に置き換えたもの。告発は子どもの発言であっても認められた(16世紀以降に顕著)。
    異端審問官ではなく在地の裁判官や執行官によって行われる。ただし時代が進むにつれ異端審問と混同されるようになる。
    拷問は5段階に分けて行われる。自白せずに全て耐えきれば無罪となるが、「拷問に耐えられる者は悪魔の力を借りている」というのが通例であったようだ。
    拷問後の処刑方法は主に火刑で、おそらく肉体を残さない目的があると思われる(キリスト教における「最後の審判」)。場合によっては火刑の前に斬首をすることもあった。
    全員が全員苦痛の中で処罰されたわけではなく中には罪の意識から逃れるために進んで拷問や処刑を受けた者もいるという。
    一連の手続きにはかなり金がかかったらしい。

  • 魔女狩り…魔女(あるいは周囲から魔女とみなされた者)に対し訴追、裁判、私刑などの迫害を行うこと。

 

魔女の定義

魔女のマニュアルは11世紀頃に登場した『カノン法』をはじめとし、時代を経て『魔女に与える鉄槌』(1486年)が権威を握ることになる。
12世紀には初期キリストにおいて顕著だった「女性嫌い」という面が再び浮上し、女性を悪そのものとして扱い始める。

魔女を迫害する理由は旧約聖書の「魔女は生かしてはならない」という言葉に基づくという。
魔女でなくともその類の呪術師や異教の神々を悪とみなして迫害していたようだ。


"異端"の誕生

キリスト教の歴史を語る上で避けては通れないのが異端の存在である。
異端とは狭義でキリスト教内部における派閥関係(前述)を指す言葉のようだが、キリスト教以外の宗教(異教)、魔女、同性愛についても異端に含まれる。

魔女迫害の発端となったのはヴァルド派に異端の烙印が押されたことだった。
彼らは追放されるハメになったが結果的に純粋愛を根底にした宗教を開き、巧みな話術で人々に教えを説き始める。
人々の心の救済ともなったヴァルド派のメンバーは後にカトリック教会によって異端審問にかけられることとなる。

教会からして最も脅威となったのはカタリ派であった。
今までのキリスト教を真っ向から批判するような彼らの活動は西ヨーロッパで急速に拡大。
12世紀前までは彼らのような異端者を取り締まるべく投獄、財産の没収などで罰を与えたが、これ以降に拷問や処刑が行われるようになった。


異端を排除する動きが高まったのは十字軍による征服戦争(11~14世紀)、ヨーロッパ中で大流行した黒死病やペスト作物の不作が大きな原因となっているようで、社会不安から逃れるためどうにかして不満のはけ口を探そうとした大衆心理が働いたのだろうと推測されている。


"魔女裁判"の発生

異端審問を通じて魔女裁判へと発展した。
異端審問が発生した背景には教会内部の腐敗が大きく関係している。
教会の発展に比例し費用がかさ張るようになり資金繰りに難儀、これを回避するため教会は免罪符を発行した。免罪符を購入した罪人は贖罪を免れるという名目があった。
加えて教会税の徴収が開始され、12世紀頃から格段に教会の権力が増し内部でヒエラルキーが発生した。

このような教会の構造に呆れた者たちはカタリ派、ヴァルド派といった派閥(秘密結社ゼクテと表現されている)を生み出す。これらに共通するのは教会の堕落および十字軍(武力行使)への非難原初のキリスト教に忠実であろうとする姿勢だった。
想像以上に勢いを増す異端者に対処すべく教会側は異端審問を行うようになった。


魔女に対する温度差

魔女狩りが横行した地域については諸説あるようだが、少なからず都市部と地方での文明の格差が影響を及ぼしているようだ。


以下は異端審問官であったピエール・ド・ランクルによる一例。
15~16世紀、都市では徹底的キリスト教が浸透していた一方で山岳部では未だに呪術による医療行為や予言などが行われていた。
そのような地域では男性が出稼ぎに行くことが普通であり、彼らが留守にしている間は女性が社会的責任を担っている例も少なくなかったという。

教会から派遣された宣教師たちはこの様子に驚愕し布教に情熱を傾けた。とは言っても厳密なキリスト教徒へ改心させるということではなく「神による改革」という銘で大規模な魔女狩りを行ったのである。
具体的には住民から聞き入れた情報を基に悪魔的な魔女妄想を作り出し、例え家族同士であっても魔女だと告発可能な状況を作り出した。


裏工作

魔女狩りのマニュアルとして広く流行した『魔女への鉄槌』にはちょっとしたワケがあった。

著者であるヤーコプ・シュプレンガーハインリヒ・クラーマーは、魔女裁判を正当化するためにこの本を各所の権威に認めさせる必要があると考えた。
魔女裁判の停滞を危惧していたローマ教皇インノケンティウス8世の認可をきっかけとし、世俗権力のトップに立つ神聖ローマ帝国皇帝のマクシミリアン1世、そして学界としてのトップであるケルン大学の神学部教授会から署名を受けた。

もともとは教授会からの署名は7人いるうちの4人のみしか得られなかったようだが、マクリミリアン1世から特別文書を受領したことで結果的に残りのメンバーからも承諾を得ることに成功したという。
早い話が裏工作だった。

そしてこれと同時期に優れた出版技術が開発されたのも功を奏した。つまり一般人でもこの本を手に取る機会が格段に増えたということである。


ドイツにおける魔女狩り

魔女裁判に関して最も悲惨だったのはドイツで、教会責任者、聖職者、商人などの権力者並びに富裕層までもが魔女として検挙されたのである。
容疑者の家族が意義を唱えれば彼も魔女の仲間とみなされ自白を強制された後処刑された。
家族同士で告発しあい、お互い虚偽の証拠を立証し処刑される例も珍しくなかった。
合法的に対象を抹殺できることからもこの時代の魔女裁判は政敵潰しにも使われていたらしい。


新たな"悪"の出現

16世紀になると魔女問題をさらに複雑にする要因が出てくる。以下はその例。

  • 悪魔憑き
    ルーダンの悪魔」が有名で、約18名の尼僧たちが好色のユルバン・グランディエによってたぶらかされたことを根拠とし、「グランディエこそ悪魔であり自分たちは悪魔に憑りつかれた存在」と告白。
    尼僧たちは総じて有力者本人(修道院の院長など)、もしくは有力者の子女だったそうだ。
    その後グランディエは拷問を受けて処刑された。
    悪魔憑きの概念はちょっとした話題となり、以降尼僧を対象とした悪魔祓いの儀式は民衆のショーにもなるほどだった。
    しかし民衆に対して悪魔への強烈な畏怖を植え付けるには至らなかった。

  • 魔児
    子どもが家族や自身を告発する事例が相次いだ。

 

魔女裁判の終焉

魔女狩りの犠牲者が聖職者や教師といった種々のエリート層まで及んだことによってようやく魔女裁判に歯止めがかかった。

精神病に関する医学が発表され、魔女のほとんどは精神錯乱者として認識されるようになる。
これが世俗権力側の考えにも影響し、結果的に不信仰者や魔術師を騙る者のみを処罰の対象とする方針へ転向。


17世紀頃から教会と世俗権力(国家)との関係に歪みが生じ始める。
原因は啓蒙思想によるものらしい。
国家からしてみれば教会に巨額の金を支払って魔女を処刑するよりも、警察(この時代から登場した)に任せてしまうほうがずっと都合がよかったのである。

同時に哲学、医学、科学、占星術など各々の学問が大きく発展を遂げたこともあり、魔女裁判への関心が薄まり更には批判され、教会の権威が脅かされることとなった。
この時代の魔女をめぐる論争はかなり複雑なようで、様々な立場の学者が多数の書籍を出版している。


魔女裁判の廃止の動きが明確になったのは医者学者法律家などが改めて魔女について解釈しなおすようになったのがきっかけ(この頃までに魔女に関する書籍が大量に出回っており、また多国籍言語に翻訳されることも多かったため「魔女」という解釈が可能な語彙であふれていた)。
彼らは専ら図書館やサロンで討論を交わしたという。

フランスでは1680年頃になるととうとう裁判所による魔女迫害は行われなくなった。フランスだけでなく全国各地でも次々に魔女裁判が廃止された。


ただしこれはあくまでも魔女裁判に限った話である。
魔女信仰そのものが完全に廃止されたというわけではなく、現在も魔女の伝説は人々の中で息づいている。


<おまけ>

キリスト教ギリシア、ローマのヘレニズムなどは文字として残された例が多い一方で、ケルトやゲルマンの民族宗教などにおいては言語化された例が少なかった。
言語化されなかった宗教や民話などはキリスト教の聖職者によって書物化されたため脚色が加えれられている可能性が非常に高い(≒キリスト教に都合のいいように解釈された?)。その中には北欧神話も含まれるらしい。
よって現在ではそれらの実態を当時のままに推し量るのは非常に困難だという。


<参考文献>

・『魔女とキリスト教